ヴィジュコラ
ライター・藤谷千明が語る
”ヴィジュアル系”のこれまでと、これから。
第二回
「ヴィジュアル系と
原宿の関係」
「ヴィジュアルプリズン」は、音楽が好きな若者たちが集まる街、「ハラジュク」を舞台にした物語です。作中の登場人物たちも、公式YouTubeチャンネルにて公開されている街頭インタビュー動画でハラジュクへの想いを語っていますが、実在する「原宿」もカワイイカルチャーやロリータファッションなど、さまざまなカルチャーやファッションを発信し続けており、世界中から観光客が訪れる街です。
古くは1970年代後半、歩行者天国でロカビリーファッションの「ローラー族」がダンスを楽しむようになり、1980代になると竹下通りのブティック「竹の子」で手に入れた派手な衣装に身を包んだ「竹の子族」が登場。そして80年代末にはバンド演奏をする「ホコ天バンド」から人気バンドを輩出し全国的なブームを巻き起こしました。90年代のストリートファッションは海外からも注目されるなど、いつの時代も「原宿」という街、そしてそこにあるカルチャーやファッションに憧れて、全国から若者が集っていたのです。
そして90年代に入ると、ヴィジュアル系バンドのファンの存在が目立つようになったといわれています。竹下通りやラフォーレ原宿には、ヴィジュアル系アーティスト御用達のファッションアイテムを扱うショップやヴィジュアル系専門CDショップが並んでおり、ヴィジュアル系ファンの胸をときめかせてくれる街でした。筆者は地方出身なので当時の原宿は実際に体験していないものの、原宿ファッションを紹介する雑誌のストリートスナップやショップ紹介を読んで、「原宿」に憧れていました。日本中の若者にとって「原宿」は特別で、だからこそ、アンジュのような行き場のない若者の居場所でもあったのだと思います。
週末になるとヴィジュアル系のファンの少女や少年たちは原宿駅の隣にある「神宮橋」で、自身のライブネーム(※ファン同士でコミュニケーションをとるときの名前)を記した名刺を交換して友人を作ったり、好きなミュージシャンの誕生日をお祝いしたり(※当然ですが本人は不在です)、ヴィジュアル系アーティストのコスプレイヤーたちが集合写真を撮影したり、竹下通りのプリクラショップでこぞってプリクラを撮るなど、ファン同士の交流を楽しんでいました。インターネットやSNSが一般的ではなかった時代ゆえに、「街」そのものがコミュンケーションの媒介となり、SNSの代わりを果たしていたのかもしれません。
人が集まる場所には、さらにいろいろな人が集まるようになります。駆け出しのヴィジュアル系バンドたちがフライヤーを配りに来たり、ゲリラ的に路上ライブを行うバンドが出てきたり(ECLIPSEの皆さんのように上空からヘリコプターで馳せ参じるバンドはさすがにいませんでしたが……)、あるいは海外向けの観光ガイドに神宮橋のロリータファッションやコスプレイヤーたちが取り上げられたりと、大きな賑わいをみせていました。
他にも、hideさんの手掛けるブランド「LEMONed」のショップも原宿にありましたし、2003年には「原宿ダンスロック」を掲げるアンティック-珈琲店-が登場、ポップでカワイイ世界観で、海を超えた人気を獲得し世界ツアーも行いました。いまや世界に広がるカワイイカルチャーですが、アンティック-珈琲店-はその先駆者の一つだったのかもしれません。このように、ヴィジュアル系と原宿は切っても切れない関係にあります。
しかしながら、1990年代末には原宿の歩行者天国は廃止となり、2000年代に入るとSNSの浸透もあってか、ファンコミュニティがネットに移行したこともあって、徐々に神宮橋からは人が減り、現在ではかつてのお祭り騒ぎのような賑わいはありません。ただ、今でもあの頃の喧騒を懐かしむ声はありますし、その時代があったからこそ、現在のヴィジュアル系シーンがあることは間違いありません。
2019年には、ヴィジュアル系バンド・BugLugは、『神宮橋』を発表しています。雑誌やCDショップの名前など、当時を生きた人ならピンとくるワードを盛り込んでいる遊び心、そして流行り廃りにとらわれず自分たちが好きなヴィジュアル系に誇りを込められた楽曲になっています。
時代とともに変わりゆくものはありますが、ヴィジュアル系の根底にあるポリシーは不変なのだと思います。